がらり、とドアの開く音がした。
伊織はいつものように、「らっしゃっせー」と挨拶を口にしながら顔を上げる。
その口上に、いつもより元気がないのも仕方がない。
本日はホワイトデー。
本当ならば、バイトは当然入れていないはずだった。
学校が終わり次第、用意したプレゼントを持ってプリンセスに会いに行くつもりだったのだ。
それなのに。
ああ、それなのに。
放課後かかってきた一本の電話によって、そんな伊織の予定はすっかり崩れてしまった。
電話の主は、伊織のバイト先、「まち」。
渋谷にある小さなもんじゃ屋だ。
今日はバイトの予定もないし、何のようだと思いながらも電話に出てしまったのが運のツキだった。
急遽、シフトを入れられてしまったのである。
何でも、店主のババアが風邪をひいてしまったらしい。
用事がある、と断ることは簡単だった。
伊織はただのバイトだ。
当日にシフトを入れられたからといって、それに応えなければいけないというような道理はない。
だが。
普段から何だかんだ世話になり、可愛がってもらってる自覚はある。
そのババアに頼みたいんだけど、なんてしおらしい声を出されてしまうと断れなかったのだ。

(……あーあ。
 プリンセスに会いに行くつもりだったんだけどな)

溜息を吐き出す。
あの優しい少女は、伊織のドタキャンにも嫌な顔一つしなかった。
いや、電話口だったので嫌な声一つ、というべきだろうか。
それどころか、

『それじゃあ仕方ないよね。
わたしは大丈夫だから、お店の方、頑張って!』

なんて、応援までされてしまった。
そんなわけで、伊織は本日風邪をひいてしまった本来の店主に代わり、一人で店番をしているのである。

(その割に人こねーし)

今来たのが、本日最初の客だ。

(気合いいれていかねーとな。
 せっかく来てくれた客に筋が通らねぇし)

テンションが下がるのは伊織の都合だ。
来てくれる客には関係のないことだ。
だから、伊織は「ぃよっしゃ!」と気合を入れ直して客を案内しようとして……。
そのまま固まった。

「よ、伊織。
お勤めご苦労さん!」
「いおりんお疲れー!」
「キリー、お疲れ」
「アルバイトお疲れ様、桐嶋」
「バイト、お疲れ様ですね、桐嶋君」
「モンジャモンジャー! あ、桐嶋キュンおつかれ!」
「桐嶋さん、お疲れさまですっ」
「……チッ」
「舌打ちなんかするもんじゃないよ、イエス。
バイトお疲れ様、桐嶋くん」
「お仕事お疲れ様ですね、桐嶋君。
ふふふ、私も来ちゃいましたよ」

「……は?」

思わずポカーンとしてしまう。
店の入り口を埋めるようにわらわらとやってきた集団客、それが全て顔見知りだったのだ。
そしてその後ろ、人影に紛れるようにして立つ小さな人影。

「オマエ……」
「あはははは……、驚いたよね、伊織くん」
「そりゃ驚くってーか……。
え? 何? これ、何の集まりなん?」

ヤマノテBOYSが集まってるのはまだわかる。
そこまではまだ理解できる。
イエスの保護者ということで来栖恭平氏が来るのもまだわかる。
きっとイエスが嫌がったのを無理やり引き摺ってくるか何かしてくれたのだろう。
だが。
だが。

「いいですねえ、この感じ。
もんじゃなんか最近食べていなかったので、非常に懐かしい気がいたしますよ。
あ、プリンセスは是非私の隣に」

なんて言っているあのうさんくさいおっさんは何だ。

「プレジデント、今日は諦めて。
ルーシーの隣、座らせてあげる」
「そうだぜ、プレジデント。
今日の主役は伊織なんだからよ」
「……へ?」

周囲から聞こえた声に、伊織は呆然と瞬く。
何がどうなっているのかがわからない。
そんな伊織に対して、なぞなぞの答え合わせでもするよう、楽しそうに笑ったプリンセスが口を開いた。

「あのね、今日伊織くん誕生日でしょ?」
「……あ」

確かにそうだ。
3月14日。
それは桐嶋伊織の誕生日である。
別に忘れていたわけではない。
ただ、伊織自身は今日を自分の誕生日、というよりもホワイトデーとして認識していたのだ。
プリンセスに、バレンタインのお礼をして。
ついでに、帰りがけにでも、実は今日はオレの誕生日だから、ちょっと甘やかしてくんね、なんて言って。
キスでもねだってみようと思っていた。
だから、こんなのは考えていなかった。

「桐嶋さんとお姫様の席はこっちですよ。
はい、座ってくださいっ」
「伊織くん、こっちだよ」

自分が店主に代わって仕切らなければいけないはずの店で、何故か歩夢に背を押されて促される。
未だ状況が把握し切れていない伊織の手を引いて、プリンセスが席に座った。
向かいに座っているのは、拓海と慎之介だ。

「……えっと。オレまだ状況がよくわかってねーんだけど」
「桐嶋キュンは察しが悪いネン!」
「この状況では仕方がないだろう」
「おれ様たちは、桐嶋キュンのためにサプライズパーティーを考えたんだよン!」
「……というか、バトルロワイヤルが行われた結果サプライズパーティーになったといいますか」

ぼそり、と横から悠斗が入ってきた。
バトルロワイヤルの結果がサプライズパーティー。
ますます状況が把握できない。
何だ何だ。
何が起きている?

「今日はホワイトデーっしょ?
で、オレっち達全員ベリーちゃんからバレンタインに貰ってたからさ」
「是非お礼をせねば、とプリンセスに連絡したのだが……。
皆、考えることは一緒でな」
「ルーシーも、姫に14日に会えないかメールした」
「おれ様も!」
「おれもですっ」
「僕もですよ」
「俺も、だな」
「…………」
「恥ずかしながら、俺もだね」
「私もですよ」

どうやら、全員考えることは同じだったらしい。
皆、ホワイトデーにかこつけてプリンセスを予約しようと必死だったようだ。
でも。

「あれ? でもオマエ、オレと約束……」
「うん。わたし、誰に誘われても今日は伊織くんに会おうと思ってたんだ。
だって、伊織くん誕生日でしょう?
おめでとう、って言ってプレゼント渡したかったから」
「オマエ……」

嬉しいが、少し悔しい。

「……そこは伊織くんが一番好きだから、なんじゃねぇの?」
「え……っ」

ぱ、と照れたようにプリンセスの頬が赤くなる。

「来年は、ソレでよろしくな?」
「えっ、えええっ」

来年こそは、誕生日だからではなく、カレシだから、なんて理由で選ばれたい。
そう言うと、彼女の頬はますます赤くなったようだった。
可愛い。
調子にのって、そのまま頬にキスぐらいなら許されるだろうと顔を近づけ……、たところで、耳元でひゅんっと鋭い風切り音が響いた。

「っぶね!?」
「調子にのんな、チャラ男」
「イエス、ナイス」

がッ、と壁にもんじゃ用のコテが刺さっている。
一体どれほどの力で投げたというのか。

「イエス、店を壊しちゃダメじゃないか。
でも今のは良い仕事をしたね」
「そこは褒めるんか……!」

イエスの隣で保護者然として座っていた恭平が、たしなめるふりでしれっと褒めていた。

「ま、そんなわけでして。
桐嶋君の誕生日だから、などという理由でプリンセスに袖にされちゃった我々は、ここで手を組むわけにしたわけですよ。
ずばり!
ホワイトデーの ついでに 桐嶋君の誕生日を祝っちゃおうの会!!」
「わー、ぱふぱふー」
「プレジデントさすがっしょ!」
「……ついでなのを隠そうともしてねぇな……」

本音が漏れまくりなプレジデントをじろりと睨んでみるが、いともあっさりと黙殺された。

「つか、もしかして……」
「ええ、おそらくは君の予想通りですよ。
この店は、今晩僕が貸し切らせてもらいました」
「ババアもグルかよ……。
あ、ってことは客が来なかったのも……」
「桐嶋クンが店を開けた後に、おれ様がこっそりひっそり『本日休業』の張り紙出しておいたからネン!」
「…………」

呆れて溜息しか出てこない。
よくもまあ、ここまでするものだと思う。
でも、きっと。
もしも伊織が彼らと同じ立場なら、同じことをしていただろう。
誕生日を理由に、彼女を独占するような男がいたならば、間違いなく誕生日を祝うなんて名目で乱入する。
賭けてもいい。

「……くっそ」
「伊織くん……?
もしかして、気を悪くしちゃった?」
「や、ンなことんねーよ。
オマエがオレの誕生日覚えててくれたのも嬉しいし?
こうしてコイツらがみんなで祝ってくれるのも、マジ嬉しい」
「祝うっていうかおれ様は邪魔しに来ただけだけどネン」
「ダメですよっ、濱田さん、正直に言っちゃったら!」
「……アユ、それも十分自白」
「磯野、そこは聞き流すのが大事なのではないのか」
「……馬鹿の集団だな」
「全くですね」
「でもでも〜、こうして一緒に来たからにはニノも神様も同類っしょ!」
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々、なんて言うからな。みんなで盛り上がろうぜ!」
「……オマエら人がフォローしようとしてんのに容赦ねーのな」
「あはは……」

すでに、タテマエすらどこかに飛んでいってしまったようだ。
わあわあと盛り上がる全員を見渡して、伊織は小さく息を吐く。
溜息のような、笑いのような。
プリンセスと二人っきりで会えなかったことを、残念に思う気持ちは当然ある。
だが、その一方で。
こんな馬鹿騒ぎが、悪くないとも思ってしまうのだ。

「オレっち、フルーツ持ってきたっしょ!
いおりんへの誕生日もんじゃ、早速焼こうよ!」
「あ、おれ、餡子もってきました!」
「俺はせんべいを持ってきたぜ」
「ルーシーは生クリーム」
「俺は言われた通りチョコレートを用意してきたぞ」
「おれ様はフカヒレと金粉持ってきたよ!」
「僕は一通りの食材は全て手配してありますよ。抜かりはありません」

…………。

「ちょっとマテ、オマエら!
何する気だ! それ絶対もんじゃの材料じゃねぇだろ!」
「……スイーツもんじゃを作るって張り切ってるみたいだよ」

スイーツもんじゃ。
ごくごくたまにもんじゃ屋で取り扱われているデザートもんじゃである。
生クリームやチョコレートソース、そしてフルーツをメインに、鉄板の上で普通のもんじゃと同じように調理して、食べる。
もちろん、普段の「まち」では取り扱っていない。

「大丈夫。
ルーシー、ネットで作り方調べておいたから」
「俺は喰わねぇぞ」
「イエス、そう言わずに食べたらどうだい?
あ、俺は二之宮くんの用意してくれた食材でチーズもんじゃでも作ってみようかな」
「いいですねぇ、ああついでなんで海鮮も入れてみません?」
「それもいいね、美味しそうだ」
「ちゃっかり避難すんなおっさん組……!!」

どう考えても、惨劇の予感しかしない。

「だぁああッ、オマエらは何もすんな!
オレが焼いてやっから……!」

がたん、と椅子を倒す勢いで立ち上がり、伊織はその場を仕切り出す。
誕生日なのになんでこんなことしてんだ、と思わなくもない。
だが、そうでもしないとエライことになる。
間違いなく、ダークマターが完成する。
しかもそれが誕生日ケーキの代わりだとか平気で言われそうである。
なので、自己防衛のために伊織は立ち上がるのだ。

「……ッ、ぜってー来年はプリンセスと二人っきりで祝ってやっからな!
オマエら覚悟してろよ……!!」

涙目の叫びがプリンセスに届く日がやってくるのか。
頑張れ桐嶋伊織。
ハッピーバースデイ、桐嶋伊織。